シネマエッセイ 鷹取洋二
第1回に続く第2回は、「最上教報」(最上教報社刊) の令和2年5月号掲載分です。
“寅さん”が鞍馬天狗になった(?)駅
<寅さんと共に日本中の駅を見てきましたが、美作滝尾駅ほど美しい駅はもう日本のどこにもありません。故郷の香りが立ちこめるような、そして消えようとしている日本の良き時代のシンボルのようなこの駅が、永遠にそのままであってくれることを願ってやみません>。
これは、映画「男はつらいよ・寅次郎紅の花」(平成7年公開)のロケ撮影で岡山県津山市を訪れた山田洋次監督が、美作滝尾駅に贈った言葉です。寅さんとは、渥美清が演じた「男はつらいよ」シリーズの主人公です。
「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い・・・」の前口上でご存知の寅さんは、巧みな話術と名調子でちょっと怪しげな(?)商品を売りながら日本全国を旅する風来坊です。「男はつらいよ」は、マドンナに恋しては失恋を繰り返す寅さんだけではなく風来坊の寅さんを描いた旅の映画でもあるのです。しかも寅さんの移動手段は主に鉄道、それもローカル線です。ふらっと小さな駅に降り立ち、生まれ故郷の柴又を思い出させる懐かしい香りが漂う町並みをバックに威勢のいい啖呵売(たんかばい)の名調子を聞かせるのです。
寅さんが立ち寄った小さな駅の一つが美作滝尾駅です。この駅での撮影には隠れたエピソードがあり、取材をした私にとっても思い出深いロケ地です。
JR因美線の美作滝尾駅は、昭和3年に建てられた木造平屋建ての駅舎で、木製の切符売り場や改札口が今も残っています。そんな駅舎に心ひかれた山田監督は、予定になかった寅さんの出演シーンを追加し、美作滝尾駅で撮ることにしたのです。ロケの誘致に尽力した「寅さん津山へきんちゃい会」のメンバーは、当初、寅さんの出番が津山ではないことを知りがっかりしていましたが、美作滝尾駅が救ってくれた、と大喜びしたそうです。 平成7年10月、この駅でトンボと戯れ、中国勝山駅行の切符を買った寅さんこと渥美清は、翌年の8月4日に逝去、津山ロケが行なわれた「男はつらいよ・寅次郎紅の花」は、彼の遺作となりました。
「寅さん津山へきんちゃい会」のメンバーは、平成27年8月4日、「男はつらいよ」の津山ロケ20周年を期に、平成8年に亡くなった“寅さんを偲ぶ会”を美作滝尾駅で行い、私も寅さんファンと一緒に献花しました。
前置きが長くなりましたが今回の主役は美作滝尾駅ではなくJR予讃線の下灘駅です。ここでは「男はつらいよ」シリーズの第19作「寅次郎と殿様」(昭和52年公開)のロケが行われていますが、メインのロケ地は愛媛県伊予市にある下灘駅ではなく隣町の大洲市です。そう、寅さんは、伊予の小京都・大洲で、たまたま同宿していた美しい女性・鞠子(真野響子)と、世が世であれば大洲藩の藩主である藤堂のお殿様(嵐寛寿郎)に出会い、いつものように・・・という展開になるのです。
大洲城やおはなはん通りなど大洲市でのロケ地は、拙著「瀬戸内シネマ散歩U」などで紹介しましたが、下灘駅については、取材はしたものの、記録として残していませんでした。でも、この駅は、美作滝尾駅と同じように失われつつある懐かしい昭和の香りが漂う駅なのです。今回は、記憶だけに留まって心残りだった下灘駅を当時の取材メモをもとに紹介します。
下灘駅へは、伊予大洲駅から、昭和62年に開通した内子を経由する予讃新線ではなく、ロケ当時と同じように海側を走っている予讃線(現在は“愛ある伊予灘線”とも呼ばれているそうです)で向かいます。
大洲での取材を終えた翌日、各駅停車の1輌だけのワンマンカーで下灘駅へ。左手に肱川、続いて伊予灘を見ながらのんびり走った列車は、1時間弱で到着。降りたホームには3本柱に支えられた上屋があり、その下にブルーのベンチが。寅さんが夢を見ながらうたた寝をしていたシーンが撮影されたのが、このベンチでした。
その夢とは―舞台は幕末の京都。鞍馬天狗になった寅さんが、妹・さくらと再会し、杉作少年を助けてバッタバッタと悪を斬るというものです。なぜ鞍馬天狗だったのか?それは今回の共演者が嵐寛寿郎だったからです。
駅員の声で目が覚めた寅さんは、背伸びをしながらベンチから立ち上がります。その目の前に、というよりホームのすぐ下に青い海が広がっています。
私もベンチに座ってみました。青い海を遮るものは何もありません。開放感に満たされます。
現在は、海辺を埋め立てて国道378号が開通したため、ロケ当時と比べホームと海との距離が少し離れてしまいましたが、下灘駅は、かっては日本一海に近い駅として、JRの「青春18きっぷ」のポスターに登場し、一躍有名になりました。ちなみにポスターの登場は平成11年ですが、「男はつらいよ」のロケが行われたのは昭和52年、約20年も前にこの駅を探し出していた山田洋次監督、さすがというべきでしょう。
駅舎にも注目です。昭和10年開業の木造のこの駅舎は美作滝尾駅と同じく開業当時の姿を色濃く残している懐かしい駅舎です。
下灘駅は夕日の名所でもあります。私が取材した日は、鮮やかな夕日、とはいきませんでしたが、雲の切れ間から流れ出た2筋、3筋の斜光線が水平線をうす紅色に染めていく美しい夕景を見ることができました。
48作に及ぶシリーズで、寅さんは美作滝尾や下灘のようなたくさんの駅に立ち寄りました。驫木(とどろき)駅(五能線)など名前を見ただけで行ってみたくなる駅もあります。
映画はいろんな旅の楽しみ方を教えてくれます。

(写真) 下灘駅(右が駅舎、左がホーム)。 ホームの向こうが伊予灘