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 エッセイ


シネマエッセイ    鷹取洋二

第3回は「最上教報」(最上教報社刊)の令和2年8月号掲載分です。

寅さんは俳人だった!俳号は“風天”

 昭和四十四年に公開された映画「男はつらいよ」(監督/山田洋次、主演/渥美清)は、監督もびっくりの大ヒットで以後シリーズ化され、平成七年の「寅次郎紅の花」まで実に四十八本が製作されましたが、翌年の平成八年八月、主役の“寅さん”を演じていた渥美清がこの世を去り、幕を下ろしました。しかし、「男はつらいよ」いや“寅さん”人気はその後も一向に衰えず、映画館での再上映やテレビでの放映が毎年のように行われ、現在もあの“寅さん”の啖呵売(たんかばい)がいつでも楽しめます。それだけに「男はつらいよ」の関連本は数多く出版されていますが、私の手元にある一冊の本は少し色あいの変わったものです。その本は「風天 渥美清のうた」(森 英介著、大空出版刊)で、俳人としての渥美清(本名・田所康雄)が描かれた本なのです。そう、実は“寅さん”こと渥美清は、俳人でもあったのです。俳号は“風天”。もちろん「男はつらいよ」の主人公・車寅次郎ことフーテンの寅がその由来でしょう。
 この本には、人間・渥美清の生きざまと、“風天”が「話の特集句会」、「トリの会」、「アエラ句会」、「たまご句会」で句友と共に詠んだ二百十八句、私信三句の合わせて二百二十一句が紹介されています。期間でいえば昭和四十八年、寅さん年表でいえば第十一作「寅次郎忘れな草」の頃から最終作「寅次郎紅の花」の公開翌年の平成八年、この世を去る四か月前までです。
  著者が前述の句会に加えて、長野県小諸市にある“こもろ寅さん会館”、渥美清の母校“東京都板橋区立志村第一小学校”まで足を伸ばして発掘、調査した二百二十一句の中で“風天”の代表句として位置づけられているのは、
<お遍路が一列に行く虹の中>
といわれています。この句は、俳人にとってはバイブルといわれる「カラー版新日本大歳時記」(講談社、平成十二年発行)の春の季語「遍路」の項に、あの高浜虚子などの句と並んで掲載されているのです。春の花々に彩られた田園風景の中をお遍路さんが歩いていく、というまるで絵画のような田園風景を詠んだ句だと思われますが、著者も感じたように、私もどこか寂しさが漂う句だなと思いました。
 この句が詠まれたのは平成六年の「アエラ句会」ですが、私の中で寅さん年表とこの句がリンクするのは平成五年公開の第四十六作「寅次郎の縁談」です。この作品は香川県でロケが行なわれ、私は平成二十年四月にロケ地を取材しました。
  瀬戸内海に浮かぶ高見島で一日目の取材を終えた私は、翌日の志々島取材に備え、三豊市詫間町の「魚定旅館」に宿をとりました。ここは、第四十六作のロケの時、出演者やスタッフが宿泊したところです。
  案内された部屋は二階の一番奥にあるバス・トイレ付きの八畳の和室で、寅さんが泊まっていた部屋でした。「男はつらいよ」のロケ地取材でやって来た私のために若女将が配慮してくれたようです。
  当時のことを宿の人に聞くと<寅さんはとにかく静かな方でした。お部屋ではほとんど横になっておられましたが、雨で撮影が中止になった時、監督と一緒にお出かけになり、うどんを食べてこられました>。そう、この時、寅さんこと渥美清は、もともと患っていた肝臓がんが肺に転移し体の衰えが目立っていたのです。とにかく体を休める、そんな寅さんにとって静かな住宅街の一角にある「魚定旅館」のこの和室はお気に入りだったようです。高松市内でのロケのためスタッフがそちらに移った際にも彼はこの旅館のこの部屋に泊まっていました。
 「風天 渥美清のうた」で山田洋次監督が著者のインタビューに答えて次のように話しています。<四十六作目のロケで香川県に行きましたが、渥美さんがお遍路に興味を持っていたのを覚えています。お遍路が巡礼でお参りしているところを見に行きたい、“ご詠歌”のテープが欲しい、などと言って・・・>。
  徐々に体を蝕んでいく病魔に立ち向かい、キャメラの前に立った時のためにただひたすら体を休めていた渥美清ですが、ひと時は、俳人としての“風天”に変身し作句で疲れを癒していたのでしょうか。もしかして<お遍路が一列に行く虹の中>は、香川県三豊市のこの旅館の一室で生まれたのかもしれません。

 お遍路の句の翌年、“風天”は「たまご句会」で次のような句を詠んでいます。
<花道に降る春雨や音もなく>
 この句が詠まれた平成七年は、寅さん年表でいえば最後の作品となる第四十八作「寅次郎紅の花」が公開された年です。ロケ地となった岡山県津山市で取材しましたが、寅さんに会った地元の人達の声が今も心に残っています。<渥美さんは体調が悪いと聞いていましたので、歓迎会の時もいろいろお話ししたかったのですが、残念ながら声もかけられませんでした><山田監督らと一緒に一度だけ食事に来ていただきましたが、うちの名物のお肉は口にされず、うどんを少しだけ食べられました。とにかく顔から足のつま先まで色の白いきれいな方で、まるで仏様のようでした>。渥美清の体調は、香川ロケ当時よりも一段と深刻なものになっていたのです。
 寅さんこと渥美清は、<花道に降る春雨や音もなく>を詠んだ翌年に亡くなりました。この句は、どんな親しい人にも私生活を明かさず、ただひたすら寅さんを演じ続けた孤高の人・渥美清(“風天”)が、寅さんと「男はつらいよ」のファンに別れを告げた句とも言えそうです。






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